日記

水無月記

大きなてのひらのカタチをした葉が茂っている。古い住宅によく見るなじみの植木であるが、ヤツデなのかイチヂクなのか考え始める前に眼は上を眺めていた。植物園でみかけるバナナに似た葉が何枚も重なり合って陽光を遮っていて、そのわりには白い壁と柱で作ったファサードは明るい。よく見ると透明なアクリルの瓦が葺かれている。
それらによるわずかの違和感――照度や植生についての――はAをしばらく惹きつけた。

ときどきさほど強くない風がバナナに似た葉の重なりに吹き込んでは光の筋を乱し、銭湯だといわれれば多くの人が「ああ」と納得できそうな中途半端な楽園感をもたらしている。自転車の無造作に何台も並んでいるのがその印象に拍車をかけた。

でもここは銭湯ではなさそうだ。
窓からオレンジ色の室内に目を凝らせば古い純喫茶や画廊にあるようなインテリアがほの見えるのだ。

「京都にならたくさん残っているであろう、地域に愛される喫茶店・・・・・・か?」

「腰を下ろしている時間はない」と隣を見ると幸いパン屋のようだ。硝子扉を引き入ってみる。すると、隣との壁は一部筒抜けており二つの空間は一つの店舗なのだとわかった。そして平日の、食事どきでもないことから考えてAは「アタリ」を確信した。迷わずイチヂクのワイン漬けが練り込まれた小さ目のバゲットを買う。


「アタリ」を確かめながら、Aは京都高倉通りを北上する。日が暮れるまであと1時間くらいかと思われた。

「あのおばあちゃんが二年前と同じように元気であれば、あそこに座っているはずの時間帯に滑り込むことができるはずだ」

空腹を癒してAの足はこころなし速くなっている。


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上記は、A=わたし です。

ブログご近所さんで文章スケッチ練習というやつを最近見かけていて、三人称で且つなるべく主観を排した表現を採りながら日記を綴るとどうなんだろう、どこがどう自分にとっては書きにくいだろう?という疑問の答えを、とりあえずやってみることで知ればいいんじゃないか――

と、書いてみました。(普段テキトーに書いてるのでそんな難しい理屈を前置きしたことがないですw)


でも書いてみてもやっぱりいまひとつよくわかりませんでしたw
これでいいのかどうかもわからない。
っていうか、目的がしっかりしてないといいも悪いもないような気がするし、それは各々好きに設定すればよいのかな。

まあ、何も考えずにたくさん書いてれば慣れは出てきて、そこからまた違う風景が見えるものなのかもしれないけど。
気が向いたら次は日記じゃなくてお話で書いてみようかなと思います。


さて、この日記の解説を少しだけ。
昨日京都の北野天神に行ってきたんです。骨董市と夏越の祓いが目当て。
昼に渡月橋のたもとでサンドウィッチを食べたあと、天神→漫画ミュージアム→二条の履物屋→四条河原町と盛りだくさんで朝はふくらはぎがへんだった。その「二条の履物屋」がここで出て来るおばあちゃんです。

二年前と変わらずお元気でした。ようやくあのとき買った白木の下駄を捨てられます。今回は男物の色味のない鼻緒なんだけどどうかな、早く履いてみたいな。