手紙 / 花のうえにも ~藤

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一気に夏めいてきましたね。

ここ数年躑躅のさかりを見そびれていて、昨日は早朝から万博記念公園へ出かけてみました。
首尾よく躑躅が真っ盛り。それだけで満足だったのですが、まだかと思っていた藤までよく咲いていて紫と若緑のコントラストとそのむこうからちらちらと覗く空を懐かしく眺めてきました。

小学校の遠足で平等院のみごとな藤棚に幻惑されてから、枝垂れる花というのが特別なものになった――という話はいつかしたように思います。木の花が好きで、なかでも枝垂れて咲く花が好き。
それは風にそよぐ風情が女の長い髪を想わせるせいかと思っていたのですが、今日植物図鑑風の絵を描いてもうひとつ思い当りました。花びらの色のグラデーションです。枝垂れで好きな桜も藤も、花びらの色に微妙なグラデーションがあります。


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それがエロティックであると説明するのは漫画を描く人にはよく通じると思います。
エロティックな塗りではよく人体の端っこの一部を赤みのある色で塗って全体へグラデさせるのです。
要するに「興奮→充血」の記号ですね。(まあ、それ以前に藤は豆科であの形状ですからいわずもがなではありますけどね!W)

って、そんな話になったついでにエロティックな絵にまつわる思い出をひとつ蔵出しします。



四年生のときのお友達に色白で華奢でとてもきれいなストレートヘアの子がいました。
近所だったので時々遊びに行ったのですが、そこにはほかのおうちで見ることのないものがありました。
琴です。
その当時ピアノやオルガンなら習っている子は多くいたけど、琴というのは当時(もそれ以後も)趣味にしている人をほかに見ませんでした。
彼女はその練習がうまく運ばないことを苦にしている様子で、興味からあれこれ尋ねてもあまり嬉しそうではなかったけど、楽器そのものへの愛情は持っていたようで自慢げに見せてくれました。
あのとき胴のまるみや柱の林立するさまの美しさに触れたのが、楽器の美しさに目覚めた最初だったように思います。

おとなしくてやさしく遠慮がちなその子は絵を描くのが好きで、遊びに行くといつも二人でお絵かきをしていました。
いつもどんな絵を描いていたのかさっぱり思い出せないんだけど、一度だけやけに盛り上がってもの凄くエロティックな絵を描き比べしあったことがあってその絵だけはバカに鮮明に覚えていますw 
たぶん、そういう愚かな行為を共有できたことが(しかも相手がいつもおとなしいあの子だということが)嬉しかったんです。そのあと何度も何度も破り捨てた絵を反芻しました。



その子とはクラス替えになって疎遠になりましたが、二年後に訪問する機会が訪れました。
お母さんが自宅ベランダから飛び降りて亡くなったんです。
わたしはお通夜で声をかけることができませんでした。


あのお琴はどうなったんだろう、あの藤の花みたいな女の子はどう成長しただろうとときどき思い出すのです。


尚、この手紙はこちらの記事↓に宛てて書かれています。
かなでる――夢日記3 - がらくた銀河

手紙 / 花のうえにも ~八重桜

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雨上がりの午後、生田神社へ立ち寄りました。
朱色の社殿のおくで生田の森の新緑がさえざえとして美しかったです。
あなたが好きな八重桜がまだ残り咲いていたのでシャッターを切りました。

なぜ、八重桜なのか。
それは花びらの薄さ、それが重なり合うさまが好きだからだとおっしゃっていた憶えがあります。

それからまた時間を経てあらためて勝手な推測をすると、あなたは何かにつけ重層的なさまに惹かれる傾向がありますよね^^
小説の好みがその最たるものだろうと思いますが八重桜もそのひとつかな、などと思ったり。


さて、今日はそんなこんなで絵を描きました。
ツイッターでやっている「深夜短歌のおえかき60分一本勝負」っていう定期イベントででていたお題が八重桜を連想させて、以前から描こうと思っていたのです。

愛さんもさくらの時期に亡くなったひとを想うと書いておられますが、わたしもこの八重桜を見ると思い出す人があるんです。
はてなハイクで知り合ったお絵かきさんで、闘病の床から絵を投稿されていました。
亡くなったのがちょうど八重桜の時期でしたので、わたしは八重桜を鐘に見立てた歌をハイクに投稿したのです。


この短歌を読んで八重桜に風鈴のイメージが直結したのは、そういう理由があったせいだと後になって気が付きました。


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花のラッシュを見られずに過ごしたぶん、これからの新緑はあなたにとってきっとずいぶん眩しく目に映ることと思います。
くれぐれも気をとられてすっ転ばないようにお気を付け下さいませ^^
では、また。

手紙 / 花のうえにも ~桜

くちびるを零れ落ちたる言の葉はピンクいろしてハート型して
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今日は桜。宛先はこちら↓です。
http://florentine.hatenablog.com/entry/2015/01/18/222306


「うささんにピンクのきもののはなしをするという「約束」はいつのことだったのだろう?」
と、このページを締めくくっておられましたね、遅ればせながらお返事を。

コトの始まりはわたしがハイクに書いたこれ↓です。


http://h.hatena.ne.jp/usaurara/9236557271644973674

さくら組の教室から桜の大樹が見下ろす廊下を歩きながら
たしかに「あはれ」としか言いようのない感傷に包まれていたのを忘れない。
この園庭ともお別れだ、この桜が咲くころに私はここに居ない、、、。
 
それは初めて感じる心象だった。
そしてそのあともずっと、春には水が湧き出すように私を浸すことになった。
以来私にとって桜色は何にも比べることが出来ない、特別な色である。
誰に似合わないと言われたとしても。

これをうけて「そう、よくわかりますその感覚。桜と物思いとピンクについてわたしも書きますね」っておっしゃったんですよ、たしか^^
そして2010年の春に書いたこの文章に、2012年にお返事をいただいているわけですよ。なんて気の長いことw(ええちゃんと待っていましたとも!)


さて、今日この話をしたのはこの手紙のコーナーに「花のうえにも」とタイトルをつけた理由を話したかったからです。
これは「石のうえにも」のモジリ、つまり「花のうえにも三年」です。
ええ、草木を語って三年も文を届け続けたという竹取物語に因みました。
はて、三年も続くのだろうかと正直自信はなくてその二文字はタイトルから外しましたが、我々は前述の調子なのですからこれもそう「過大な課題」ではないかもしれませんねw

では、また^^

手紙 / 花のうえにも ~椿

石垣に横たわるはな人垣の仰ぎみるはな駅はすぐそこ


阪急岡本からほど近い櫻の守公園。一昨年の写真と歌です。
「潔く墜ち」て咲く花と散りながら咲く花とを対比した写真があった、と思い出しました。

でも、わたしが椿を好きな理由はそこではなくて形状のシンプルさではないかと思います。
その上で、花のひとつひとつがしっかり「個」として存在するように見えることも。
(梅や桜では小さくて群れて咲くのでそうは見えない)
理想を花に見てるんですね、恥ずかしいほどわかりやすいですw
わたしがどちらかといえば木の花のほうが好きなのもそういうことなのでしょう。


そう、お水取り。
あの紅花染めの椿の細工を、僧侶が大きな輪になって黙々と作るのを映画のシーンで見たんですがなかなか感動的でした。染めの映画だったので、とても長い時間と手間をかけて染めてゆくのを映画は追っているんだけどクライマックスは材料を形にするそのシーンなんです。お水取り本番のにぎやかな、動きのある映像ではなくて。

一度あの花を手に取ってみたい。


それと、資生堂。そうか、あなたもなのねえとw
それで思い出したんだけど、あのデザインのことが書かれたお話があったよねと思ったのです。
太宰治の『皮膚と心』でした。そこでは薔薇になっているんだけど、あれってたぶん椿ですよね。


資生堂は高くて縁がないけど、花椿という冊子が大好きです。
ああいうものを作り続ける会社、素敵だなあと思います。
これも身近な場所で目にする機会がないんですが、先日岡本のカフェで揃えて棚に置いてあるのを発見してとても嬉しかったんですよ。
で、熱心に読んでいたらオーナーのお姉さんが「一年分まとめて一冊にしたのがあるので貸しますよ」って。今、手元にあります。遠慮しないで長いこと借りてくださいって言ってくださって。

素敵なものを素敵と思っているとそれがまた何か素敵なものを連れて来る、という話です。
ではでは^^


2015/03/02

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なお、この手紙は下記リンク先の文章に向けて書かれたものです。
2015-02-24 - がらくた銀河