獺祭(だっさい)――テキレボアンソロ寄稿短編 / 約1600字

 なぜかはわかっていない。獺(かわうそ)には仕留めた魚を川べりに並べる習性があり、人はそれを神への奉納になぞらえ獺祭(だっさい)と呼ぶ。

 水が怖いと思うことがなかった。海辺で育ち泳ぎは誰にも負けない。こんな浅い瀬で溺れるなどまさかと舐めたのを悔いるも遅く、少年は気を失っていた。
この行為に理由があるならせいぜい一つ年下の部員へのやっかみといったところだろう。八咫烏やたがらす)はちょうどよいネタに過ぎなかった。しかしこの森の異様な静寂が、さっきまで居た「京都」から遠く離れた異界へと攫われてしまったような不安を生んだ。「悪行を糺(ただ)すから糺(ただす)ノ森だ」という顧問の言葉にスニーカーの水が重くなり、滑稽と思われた三本足の鴉が今まさに木々の奥からこれを裁かんと見ているのではないか、そう思わせるだけの闇と霊気を森はたたえはじめていた。

 動かなくなったことに動転し取り囲んだ少年たちは慌てて獲物を引き揚げ、人が通りかかれば目に留まってくれそうな場所まで抱え運んだ。そして彼らが足早に去ってしまうと森は一瞬閑けさを取り戻したが、それを待つかのような虫の聲に取って代わった。あと十日も経てば紅葉を訪ねる人で遅くまで賑う森は、今はまだ虫の聲とかすかな水音が聴こえるばかりである。
小さな石橋のゆるい円弧に沿い、仰向けの肢体は空を見ている。そこに光が届くほど月は昇りきっていない。
カッターシャツの裾からはさっきまで「三本足の鴉」と貧弱を揶揄(からか)われていた小さな突起が覗き、他の二本とともに揃えられている。それはまさしく神への捧げもののようであった。


 京都と福井県小浜市は古来、人とモノが行き交った。二つを結ぶ道はいくつかあるが、最短の針畑越えは幅の狭い道をアップダウンする最も険しいルートである。「京は遠ても十八里」と言うが、正確には76キロ。トライアスロン競技者の12時間かかる道を、かつて行商人が同じ時間で鯖を担いで運んだという。


 鯖のようだった。濡れて青く光る肢体は動かない。しばらくして、川から這い出し近寄る影が見えた。漆黒の羽根でできた蓑をつけた齢(よわい)三十くらいの男だ。鯖を丸裸にすると顔を近づけ身体の端から端まで舐めるように、いや、実際舌を出しところどころを舐めた。そしてひととおりその儀式を終えると軽々と肩に担ぎ、神事で馬場に使われるまっすぐな参道を南へ向かった。すると背後から黒い馬が駆けて来た。男は鯖を馬に乗せ、境内を出ると己も馬に乗り賀茂川を北へ向かった。



 少年を見つけたのは遠敷(おにゅう)の縁者だった。幼いころ父と川遊びに来て見知っていた。とはいえここ数年行き来がなく、畑から昼をとりに戻って納屋で丸裸の少年を見つけたのだ。わからなくて無理はない。「勝(まさる)」と名乗られて思い当った。勝をあらためて確かめると、朽ち葉と鳥の羽にまみれた体は擦り傷だらけで小水臭と生臭いにおいがした。「可哀そうに、やられたな」と直感したが、それにしては勝の態度が腑に落ちない。

 連絡を受け夜道を飛ばして京都に駆け付けた両親は、翌朝入った知らせに安堵し腑に落ちぬ顔をしながらも「あの子はそういう子なんです。見てはいけないものを見てしまうんです」と言ってそれ以上ことを荒立てなかった。何より本人が何の訴えもせずむしろ何かを達成したように満ち足りた顔を見せるので周囲は何も言えなくなった。引率していた部活の顧問は、制服が警察に届いたことで事件性を疑いはしたもののこれもまた本人が自発的に脱いだと言い張って打つ手がなくなった。
学校側は、宿から濡れた靴の報告を受け嫌疑をかけた数名を咎めもできずにいたが、結局彼らは全員が別件により退校あるいは中退で高校を去ることとなった。


 「昇る朝日を背に、黒い蓑の男とこどもを乗せた馬が根来峠(ねごりとうげ)を越えて来るのを見た」という噂が広がったのは数年後その少年が亡くなったときのことであった。
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まあ、お尻が描きたかっただけやんね?と問われれば「うむ」と頷くしかない!w
この作品は、絵と文章を加筆の上で手製蛇腹本『三角州』に収録しました。

蛇腹の反対面は磯崎さんの「たがそでゆめむすび」。


2つのイベントに委託頒布予定。どちらにも通販的なシステムがありますので、またご案内いたしますね。