『真珠腫』 というお話で【貝楼諸島】の企画に参加します

こんばんは。Twitterですてきな企画 【犬と街灯「島アンソロジー」】を見つけて参加することにしました。タグ #貝楼諸島より をつけてそれぞれ好きな場所にあげてねーというとてもシンプルで自由な企画。わたしはほんとは今月上旬にあげるつもりだったのですが、字数がなかなか詰められず苦戦しました。遅くなってすみません。結局およそ800字になりましたが、どうにか目標の「十五夜」には間に合いました^^ では、満月のお話をどうぞ。


『真珠腫』

 固いものに頬を突かれ、咄嗟に振り払う。うたた寝てしまったみたいだ。日が暮れてまるで見えない。一面にうごめいている無数の影は……蟹か。黒い樹林からほつれ出て押し寄せるのが、卵を抱えた蟹だと気づいて思い出した。満月だ。山の向こうに薄く黄色い光が見え、ザリは飛び起きた。急いで岩場をわたり坂を駆けあがる。何度か草履の裏でガシャリと嫌な音を聞いた。
 噴火でできた島は巨きな穴とそれを囲む低い山々から成る。暮らしは漁が中心だ。その漁が月一度の満月大潮だけ夕暮れの素潜りにかわる。今日は早めの夕餉をすませ父を送り出すはずだった。登りきって見下ろすと、すでに漁の灯りがポツポツと弧を描いている。父の怒った顔が脳裏をよぎるが、ザリはもうそれが怖い歳でもない。背は死んだ母を追い越し、このごろは右耳の奥もかすかに痛む。それがよく聞く「皮膚と骨のあいだで玉が軋む」なのかはわからない。そろそろかなと思っているけれど、お前はきっと遅いと父は言う。
 空と海がまだらから深い群青におおわれると、ちいさな灯はみるみる明るくなった。もしいま空から見下ろせたら、この円い島は首飾りのようにきれいだろう。ザリの首飾りは玉が8つだ。いちばん端がザリの母の玉、その横に祖母、そのあとはよくわからない。でも一族の時間が連なる大切なものだという。じっさい、それが耳に飾られていた頃の母のうなじや髪の匂いまで玉は憶えている。だから三年経ったいまも、触れるたびに声までするのだ。耳ではきこえない声が、きこえる。もしかしたら。女の右耳を割いて玉を取り出すのは、それまできこえなかったものを聴くためでもあるんじゃないか。そんなふうに、きこえないものをきき続けることが女たちを静かに光らせるのかもしれない。
 明るい満月に、集落のあちこちからあがりはじめた祝いの音が響く。すぐにそれは渦となり山の鳥や獣はじっと気配を殺すだろう。母と覚えた満月大潮の祝い唄を、自分はまだうたえるだろうか。(了)


あとがき

タイトルの「腫」はできもののことです。じつは自分にそれがあると手術を勧められたことがあって、わたしのなかでずっと「耳の奥で真珠が育つ幻想」があるんです。今回は満月とそれを重ねて、めずらしくファンタジーらしいお話にしてみました。舞台には一度訪れていまも惹かれている南方のとある島のイメージを借りました。久々に文字を書いて楽しかったです。お読みいただきありがとうございます。お月見、いかがでしたでしょうか。もし見られなかったらこれをどうぞ^^ ではまた。