カルトン第5回 蝙蝠蘭(コウモリラン) を公開します

こんばんは。ブログご無沙汰ですし、終戦記念日である今日がふさわしいエッセイをひとつ公開します! コラボ花うさぎはこの春まで一年間、1500~2000字程度のエッセイを毎月発行してきました。その12通のうち、これは私が磯崎さんへ宛てた手紙です。また、この全12回をイラスト含めて製本して次回テキレボ新刊としてお届けできたらいいなとわたしの頭の中で構想中です。まあ、明日のことはわかりませんけどね!^^ では、どうぞ。

カルトン第5通 蝙蝠蘭(コウモリラン) 


この数日で涼しくなって、うちの植物たちもホッとした様子です。先日ここに蝙蝠蘭(コウモリラン)を迎えました。「蘭」が付くけど分類上はシダ、別名を麋角羊歯(ビカクシダ)と言います。牡鹿の角のように宙を突く長い葉と、その根元に巻く美しい網目模様の丸葉。温帯植物を見慣れた目に異形と映るその造形を眺めていると、鼻腔に南洋の密林の匂いが満ちてきます。
「南洋で戦死して木箱だけ帰ってきた」と伯父のことを聞かされて育った私にとって南洋とは戦地のことです。そのせいかOL時代に南の島へのリゾート旅行が流行っても私はまったく乗れなくて、ランチタイムをもっぱら相槌でやり過ごしました。まあ、集団に馴染めないのは幼少からのことで、私も愛さんと同じ登園拒否の前科者です。思えばネットが世の中に浸透するまで、集団にあってはいつもそんなでした。属性の違いで集団から弾かれぬよう、イソップの蝙蝠にならぬように。
私が蝙蝠をはじめて間近に見たのは兄の手の中でした。その光景を、まるで邪悪なものが兄を手の先から侵していくように私は感じました。たぶんテレビの影響でしょう。でもその不幸が兄を襲う予感は、残念ながら後に現実となりました。私は「蝙蝠が不幸を運ぶのではない、人が不幸に遭うのは蝙蝠が暗がりを飛ぶのと同じくらい当たり前なんだ」と思いつつ、一方で気味の悪いイメージに誘われてそこに因果関係を見もします。


さて、この羊歯の二つの名前が王たる鹿と異端者の蝙蝠というのは面白いです。人が聖女と売女、王子と乞食といったような両極端を求めがちなことと同根でしょうか。人は見たいものを見る。
蝙蝠といえばドラキュラですね。これはまたさっきとは別の伯父ですが、まるで映画のドラキュラ伯爵のようなイケメンも居ました。蝙蝠ではなく、肩には外国の尻尾の長い猿。スリーピースを着て洋モクをふかしていると、そこが山陰の漁村であるのが不思議でした。随分前に亡くなりましたが、先日母と伯父の話題になって「看護婦に手を出す奥さん泣かせの医者だったんでしょう?」と言うと呆れた顔を返されました。医者だった以外は全部私の妄想だ、いい人だったし夫婦円満だったと言うのです。あれ? おかしいなあ。



種の話、懐かしく拝読しました。覚えてますか。知り合って間もない頃です。ウェブで書くことは小さいかも知れないけど必ず何らかの影響を周りに及ぼすはずだと言ったとき、同意のコメントをくれましたね。いつもの独り言にいきなり熱いコメントが返ってきてびっくりしたものです。しかも当時まだ近づきがたい憧れの存在だった磯崎さんから。でも今の私は、愛さんのあの反応を至極当然に感じます。手紙は愛さんに対するイメージの変化についてあらためて振り返る機会をくれました。
「何かについて正しく理解するのは不可能である」、また「人を含め、全ては僅かずつ常に変化している」。だからそれらのイメージに正誤はなく、どれもがその時々の真実(らしきもの)です。こういった曖昧さを含んだ捉え方を、お互いに許し合える関係があると信じられるから私は今こうして手紙を書くことができます。この土壌が、私にはコラボで作品をなすなさぬ以上に大切でかけがえのないものです。往復書簡企画には、そんな気持ちを込めてカルトンと名付けました。曖昧さや複雑さを許容しない世の中の空気に息苦しくなる昨今は、ますますそれが重みを増しています。
表現は赤ん坊がこの世に生まれて泣く、それと同じだと思ってきました。そうです、御大層な作品なぞなさなくとも人は常に表現をしている。いただいた手紙に、今度は私が熱く同意をします。   

     ―――― うさうららより


お読みいただきありがとうございました。熱帯をリアル実感できてしまう過酷な夏を、どうぞみなさま無事に乗り切られますように。ご自愛ください。