オバマ・グルグル6

こんばんは。最終日の今日はお城の話です。


昨日話したとおり江戸時代までは港湾都市として栄えた小浜ですが、2つあるお城は両方石垣しか残ってません。ひとつは山城の後瀬山城(黄いろ字)、ひとつは海城の雲浜城(青字)です。



1522年 若狭国守護・武田元光が後瀬山城を築城し若狭武田氏の拠点として栄えた

1601年 若狭入った京極高次が雲浜城の築城に取りかかる。が、難航して京極家藩主時代には完成せずに終わる

1642年 出雲にとばされた京極氏にかわって若狭入りした酒井忠勝が8年かけて雲浜城(小浜城)竣工。明治を迎えるまで酒井氏の居城となった

1871年(明治4年)雲浜城内に大阪鎮台第一分営を設置する工事が行われ、その途中に出火し大部分を焼失

1875年(明治8年)に雲浜城本丸跡に藩祖である酒井忠勝を祀る小浜神社が建立される


一つは中世らしい山城、ひとつは港湾都市らしい海城。いいですねえ!どっちもこの目で石垣を確かめたかったんですが山城の方はかなり崩れてしまってて登らないとまったくそれらしいものは見えません。当日は土砂降りだったのであまりにも足場が悪いかとこっちは諦めました。(標高は全然たいしたことないんですが、多少の等高線入りの地形図は持っていた方がいいかと)


で、翌日に海城の雲浜城に自転車を借りて行きました。(徒歩で往復なら一時間程度かな)下は雲浜城方面のズームアップ図です。

ほんっとにほとんど海って場所です。中州なのですよ。二重のお濠の外側は川をそのまま利用しているんですね。内濠は現在全部埋まって宅地になっています。工事が難航したっていうの、地盤のせいじゃないのかなあ、普通こんな脆弱なとこに建てないと思うんだけどwでも、それがゆえに魅力なんです水辺が大好きなわたしとしては^^



のどかでねーー。お城って言ってももうね、あんまり構ってもらってないかんじなの!濠は全部埋まっちゃってふつーのお家が建っててさ、石垣のすぐ横にゴミ置いたり洗濯物干してたりするんですよぅw だいたい小浜の街全部がもう寂れてるので超マイペースなんだ。きっと海水浴シーズンだけ観光地らしいムードに変わるんだろうなあ。雲浜城の周囲は田んぼと畑と人家、ちょうちょとか飛んでて癒されてきましたw




そのときの印象を『泣草図譜』に2枚取り入れて描いています。


『海柘榴』の主人公の従兄・勝くんはアタマよすぎて周囲から浮いてしまうタイプの子で学校でも家でも気持ちが休まらなかっただろうなと思われるのですが、そういう彼がときどきふらっと学校さぼってやってきて寝っ転がったり海を見たりしてたんじゃないかという妄想。

そして、彼がもし地元の高校に進学したならお城から川を少し遡った場所にある県立若狭高校になります。ここの門がかつての藩校で使われていたものを移築してあってむっちゃかっこいい!


長くなりました、最後にお城の好きな方向けに鳥瞰図などあってわかりやすいサイトがあったので貼っておきますね。
ttp://yogokun.my.coocan.jp/hokuriku/obamasi.htm


ざっくりと写真で見て廻る小浜紹介全六回でしたが楽しんでいただけたでしょうか。長らくお付き合いくださりどうもありがとうございました。小浜はまた夏にでも再訪したいと思っていますので、そのときはよりディープな紹介ができるかと思います。
それから、都と大陸との中継地点である小浜の歴史については面白いことがウェブ上でもいろいろと読めるのでぜひご自身でネットを漁ってみてくださいね。では、このへんで☆