M×U ― 砂を折る ―  写真×短歌コラボの折り返しにあたって

あらためてあけましておめでとうございます。
ばにーさん、並びにここを読んでくださる方々の新年がおだやかな一年でありますように。

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半年間の連載も半分終了し、後半最初の4枚はアクセントになるような構成をと考えました。預かった写真のなかで動物写真はちょっと毛色が違っていましたので迷わずこれらに決定。たくさんのなかから、お正月という時節を考えて干支の猿と紅白のフラミンゴを中心に選定してみました。

さて、ばにーさんから問いかけをいただいていたので今日は返信を書きます。

うささんにはどんな風に見えているのかなぁ。

M×U ― 砂を折る ― - ウサギノオト


かわいい、癒されるといいつつ創作の中で扱う客体としてはそれをそのまま転写することを拒む。
これは自分にもあるのでとてもよくわかります。(わたしは動物で「癒される」はさほどないですが、たとえばこれをかわいい男の子、女の子、おじさま・・・・・・といったものに置き換えれば)

多くのひとは動物(あるいはキャラ)を消費対象としてだけまなざしていたい。それが楽だから。


あまりこの話を突き詰めて書くといろいろ年の初めからメンドクサイのでここで話をゆるっと回避させて、そう、このフラミンゴの首のように!

はてなハイクではたくさんの写真を見ているんですが、大量に無目的に見るのでどうしても見方が「ぞんざい」になってしまうんですよね。ツイッターもそうですが大量に流れていくシステムの中でひとつの画像、ひとつのテキストに向き合うことはなかなか難しいです。よほど高度な技術があるか、突出した面白さがあるか、下劣のキワミかでなければ目にとめてはもらえない。


「やっぱりちょっと影が出てくるんですが、それは暗さでもないと」


こういった微妙な感覚は、こうしてあらためて作品に向き合ってやっと伝わってくるものではないかと思います。猫を除けば残りは全部囚われながら生きているものたちと言えるわけで、そこに人は社会と自分の関係を投射してしまうのだと思います。でも、そんなかれらに「暗さでもない」なにかをわたしも感じます。それはわたしが言ってしまってはいけないことだから、ポチ袋に二重に糊付けしてお渡しすることにいたしますw

そうそう、このフラミンゴですけれど。
こうして眠っているのをしっかりみせてもらって初めて「ああ、この首はこういうことだったのね」と思いました。なんてよくできているのでしょう!!
そんな気持ちが「あるべき場所にあるために」ということばを私に言わせました。


ではでは、後半もよろしくお願いいたします!

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